皆さん、こんにちは!
最近、「腰椎骨折」や「抜釘手術」などのキーワードでこのブログにたどり着く方が多いようです。
もしあなたが今、何かの困難に直面し、先の見えない不安を感じているなら、私のこの体験談が少しでも希望の光となることを願っています。
今回は、私にとって人生が大きく変わったあの日から、6年間の道のりを改めて振り返ります。突然の事故による「腰椎破裂骨折」という大怪我。二度と大好きなタップダンスができないかもしれない、という絶望。そこから、いかにして心と体の回復を遂げ、再びステージに立つことができたのか。
痛みや苦悩、そして支えてくれた人々への感謝の気持ちを込めて、包み隠さずお話ししたいと思います。この体験談が、同じような境遇の方の助けに。
絶望の始まり:突然の事故と診断
あの日、人生が急変した瞬間
2017年7月27日。私にとって、忘れられない一日です。家族旅行の最終日、朝食に向かうホテルで、私は子どもを抱えたまま階段から転落しました。なぜそうなったのか、今でもはっきりとは覚えていません。ただ、「ダメだ!」と思った瞬間、無意識に子どもをかばうように自分から前に回り、2回転。尻もちをついた瞬間に、頭の先まで響くようなものすごい衝撃が走りました。子どもは額を切る軽傷で済みましたが、私自身の体には異変が…。
救急車に運ばれ、受け入れ先の病院がなかなか決まらない焦燥感。ようやく辿り着いた病院でのレントゲン撮影の結果は、「腰椎骨折」。そのまま入院が決まりました。痛みで体が全く動かず、考える余裕さえありませんでした。
突きつけられた「もう踊れないかもしれない」現実
数日後、今後の治療のため専門医のいる名古屋の病院へ転院。そこで下された診断は、「第一腰椎破裂骨折」。他にも数カ所骨折しており、聞いていたよりもずっと重症でした。
「もしかしたら車椅子での生活になる可能性も、排泄障害が出る可能性も…」。医師からの説明は、私をどん底に突き落としました。当たり前にできていたことが、できない生活。体を起こすことも、寝返りをうつことも満足にできない。あの時の無力感と恐怖は、今でも胸の奥に深く刻まれています。「もう普通には歩けないかもしれない、二度と大好きなタップダンスを踊ることはできないかも」。あまりのショックに、ベッドの上で天井を見上げながら、これからの予測できない未来に絶望しました。
深刻さを実感したのは、入院から約1カ月後、最初の手術を控えて医師から説明を受けた時でした。事故後初めて見るレントゲン写真には、押し潰されてバラバラに割れた骨が半分くらいの大きさで写っていました。背中側の神経もかなり圧迫されていて、麻痺症状が出ていないのが不思議な状態だったそうです。その日はショックで眠れませんでした。
ただ、そんな絶望の中でも、主治医には強く願いを伝えました。
「可能なら、またタップダンスを踊りたいです」――。
苦闘のリハビリ生活:心と体の葛藤
コルセットとの戦いと、一歩踏み出す恐怖
リハビリは、つらく退屈な日々でした。焦る気持ちと、思うように動かない身体とのギャップに、何度も心が折れそうに。特に、治療の初期から約1年半、入浴時以外は24時間装着し続けた硬性コルセットは、まさに相棒でありながら、夏場の蒸れや動きにくさは大きなストレスでした。
骨が安定するまで腰をがっちり支えてくれた頼もしい存在でしたが、その分、体はカチコチに。足を伸ばして座ることすらできず、前屈は指先が床のはるか向こう…。もともと固い体でしたが、普段の生活がいかに柔軟性を保ってくれていたかを痛感しました。
職場復帰の日も、ドキドキの連続でした。リモートワークから本格的にオフィスへ。初日は荷物を持っての移動に不安があり車で通勤しましたが、駐車場から職場までのわずかな距離を歩くだけで、腰に「ドーン」と重く響くような痛みが走りました。事務職で座りっぱなしの生活も厳しく、立ったり座ったり、少しでも楽な姿勢を取れるように工夫しながら少しずつ「歩く習慣」を取り戻していきました。
「抜釘手術」という大きな決断と、知られざるリスク
怪我をしてから、SNSなどを通じて同じような骨折をされた方の話を見たり、相談を受けたりする機会が増えました。中でも特に多いのが、「骨折箇所を固定しているボルトは、抜くべきか?」という「抜釘(ばってい)手術」の悩みです。
治療とはいえ、体の中に異物があること、そして当たり前だった動きが制限されることのストレスは計り知れません。抜釘手術には、精神的な安心感や可動域の改善が期待できるメリットがある一方で、支えがなくなることによる骨折部分の沈み込みや再骨折のリスクも伴います。そのため、抜釘後も約1カ月は安静が必要で、ボルトが埋まっていた穴が完全に塞がるまでは、骨折のリスクが残ります。私の場合、穴が塞がるまでには120日ほどかかると言われました。
残すにしても、取り除くにしても、どちらにもリスクがある。100%の正解はなく、あるのはリスクの大小の違いだけなのです。
私の場合、治療を始める段階から医師には「できることなら、またタップダンスができるようになりたい」と強くお願いしていました。その結果、当初1回で済ますはずだった手術は、より確実性を高めるために2回に分けることに。抜釘することも前提とした治療計画でした。

実際に自分の体に入っていたボルト類
こんなのが骨にねじ込まれるわけですから、術後の痛みは当然ですよね。ちなみに、素材はチタンで、1本10万円くらいするらしいです。
手術による体への負担は大きくなり、動きの制限もより厳しいものになりましたが、すべては「以前の生活に戻るため」。怪我をして、正解のない決断を迫られ、それを乗り越えた結果、「決断力」は確実に上がった気がします。どんな結果であれ、自分で選んだ選択を後悔しない。そのために、今できることを全力でやる。この経験から得た大切な教訓です。
体と心の変化:後遺症との向き合い方
汗をかかない体?術後に起きた異変とメモの真実
私はもともと汗かきなタイプで、タップダンスのレッスン後は水を浴びたかのように汗だくになることも日常茶飯事でした。しかし、怪我から復活し、レッスンや自主練を再開したある日、ある小さな「違和感」に気づいたんです。「あれ…?背中だけ、なんだかサラサラしてる…?」あんなに汗を流していたはずの背中が、ほとんど汗をかいていないのです。
その日から数日間、自分の体の様子を気にしていると、さらなる発見が。なんと、「左足の裏側」も汗をかいていないのです。「背中」と「左足」。場所が全然違う…。「骨折した時に神経を圧迫していた影響が、今になって後遺症として…?」良くない考えが頭をよぎりました。
そんな時、ふと見つけた古いメモに、答えが書かれていました。手術前に医師から説明を受けた際の、自分の走り書きです。
『切開すると血流が変化(?)し、その部分の体温が下がることがある』
これだ!僕が手術でメスを入れたのは、「背中」「左脇腹」「左足の付け根」の3箇所。汗をかかなくなった部分と、見事にリンクしました。長年の謎が、一気に解けた瞬間でした。原因がわかると、心にかかっていた靄(もや)がすーっと晴れていくようでした。
疲れやすい体との付き合い方、そして整体との出会い
手術から2年以上が経ち、半年ごとの定期検査も終わり、医師から「ほぼ治療終了ですね」という嬉しい言葉をいただきました。CT画像を見ても、背中の金属と骨ががっちりと一体化してくれています。
おかげさまで、軽く走ったりジャンプしたり、子どもを抱っこしたりと、日常生活はほとんど支障なく送れています。ただ、正直に言うと、怪我をする前とまったく同じ……というわけにはいきません。今も腰まわりは常にガチガチで、立ち上がったり、体を曲げ伸ばしたりする際には少し痛みが走ります。そして、疲れやすさはまだ残っていて、週末はぐったりしてしまうことも…。
「あまりにも腰がガチガチすぎる!」ということで、先日、人生で初めて整体を体験してきました。正直なところ、「本当に効果があるのかな?」と半信半疑だったのですが……施術が始まった瞬間から驚きの連続!「人体の構造ってこうなってるのか!」と、まさに目から鱗が落ちるような体験でした。施術後は、体から余計な力がすっと抜け、あれほど頑固だった腰まわりの硬さも嘘のように消えていました。受けた衝撃は相当なもの。「もっと早く出会いたかった…!」と心から思える、素晴らしい体験でした。
そして、感動のタップ復帰へ!
鳴り響く一音に込めた想い:スタジオ復帰の喜び
おそるおそる、数ヶ月ぶりにタップシューズに足を通した日。床を鳴らした「カツッ」という、たった一発の音。その音が、どれほど愛おしく、自分の心に響いたか。あの瞬間の感動は、一生忘れることはないでしょう。
昨年の4月頃から、月に1度のペースでタップダンスのレッスンに復帰できるようになりました。スタジオでしか会えない仲間たちの顔を見た瞬間は、懐かしさと嬉しさでじわーっと胸が熱くなり、まさに感無量でした。もちろん、体はまだ固く、足も思うように動かないので悔しい思いもしますが、「やっぱりタップは最高に面白い!」と改めて実感しています。
ステージへの帰還:3年半ぶりのパフォーマンス
2021年10月31日、転落事故による第一腰椎破裂骨折から828日。ついに念願のパフォーマンス復帰を果たしました!数日前に声をかけてもらい、一瞬不安を感じて迷いましたが、二つ返事で参加を決定。何事もタイミングが大事。チャンスはしっかり掴む!
ピアノ・コンサートは、アメリカのホームパーティーのように温かく、和やかな雰囲気で、みんな自由に音楽を愉しんでいました。出来栄えは十分とは言えませんでしたが、それでも楽しかった!音楽に合わせて自分のリズムを重ねていく感覚。ただいま!!って叫びたかったです。
そして、スタジオR3の発表会「SO TAP 7」。コロナの影響もあり3年半ぶりの発表会で舞台復帰。2日間のチケットは完売、たくさんの方が足を運んでくれました。本番2日目、フィナーレで舞台に立つ。その時、「戻ってこれた」とこみ上げてくる気持ちを抑えるのに必死でした。大人も子どももみんなが一緒になって楽しめるタップはやっぱり素晴らしい。タップダンサーであることを誇らしく思います。
「絶望の日」が「感謝の日」へ変わるまで
あの事故から6年。第二の誕生日を迎えて
6年前の7月27日は、一瞬にして生活が急変した「絶望の日」でした。しかし、6年経った今、7月27日は、多くの人に支えられて今ここに在ることを実感し、生きていること、踊れることに心から感謝する「第二の誕生日」になりました。
怪我をして、3度の手術を乗り越え、ここまで回復できたのは、ほかでもない家族や仲間たちの支えがあったからです。家族と旅行へ行ったり、子どもと思いっきり遊んだり、毎日会社へ通ったり、そして大好きなタップを踊ったり。かつて「当たり前」だった日常を、再び「当たり前」に過ごせていることに、心から感謝しています。
未来へ向かって:身体とタップへの新たな向き合い方
いわゆる後遺症はありませんが、身体は元通りになったわけではありません。ボルトは抜きましたが、背骨の一部は金属に置き換わったまま。疲れが溜まってくると、今でもズーンと重たく痛みます。でも、不思議とこの痛みが憎いと思ったことはありません。むしろ、これは私に「無理しすぎるなよ」「身体を大切にしろよ」と教えてくれる、シグナルのようなものだと感じています。
この身体になってから、踊り方も変わりました。以前よりもずっと、自分の身体の使い方を意識するようになりました。一歩の重み、重心の置き方、力の抜き方。タップの一音一音が、以前よりもっとクリアに、もっと大切に感じられるようになった気がします。長く踊り続けるためにも、腰に負担のかかりにくい踏み方を実践中です。
これからも、この身体と、僕のタップと、丁寧に向き合いながら。一歩一歩、感謝しながら、一日でも長く大切に音を紡いでいきたいと思います。
ここまで読んでくださったあなたにも、心から感謝します。
もし今、あなたが何かに悩んだり、諦めそうになったりしているなら、この物語が少しでも「大丈夫、きっと乗り越えられる」という勇気につながれば幸いです。焦らず、あなたのペースで一歩ずつ進んでいきましょう。応援しています!